研究集会「大震災と臨床教育学」を開催しました。
武庫川臨床教育学会は、2011年4月2日に理事会を開き、東北・関東大震災を受けての教育の課題について次のような議論を行いました。
そして、今年度の研究テーマの一つに「大震災と臨床教育学」を付け加え、5月14日(土)午後1時30分から研究集会をもちました。
わたしたちは、16年前の阪神・淡路大震災における破壊的な状況の中で、そのようななかであっても「教育」や「学校」がはたす根源的な役割を確認し、そして災害のなかであらわれる子どもたちや地域の人々と、その援助者の課題を考えてきた体験があります。
もちろん、3月11日に起こった東北・関東大震災と、その後未だ解決が見通せず、被災の地域へ足をも踏み入れられない原子力発電所の惨状は、特別な課題を呈しています。
子どもたちのみならず、大人たちも住み慣れた地域を、期限が見通せない状況で避難しなければならないことが、どのような心の傷となり教育の課題となるのか、わたしたちにとって想像が
及ばない部分でもあります。
わたしたちは、各分野の専門的な知見や経験を持ち寄り、この問題に積極的な関心を持って臨んでいきたいと考えます。
会員諸氏の各研究領域からの積極的な連帯を期待します。
震災の中で、傷ついた心を埋めようとする子どもたちの行動への理解を
関東・東北大震災の惨禍の中で、遅れていた卒業式が3月の末に行われました。
間借りした学校で再会した教師と子どもたちの間で、「生きていてよかったね」という言葉が交わされていました。
阪神・淡路大震災のときも、「生きている」ことを最も大切な人間存在の基底として確認し、生きている者が寄り添いあうなかで、尊い命を失った仲間や親たち・先生たちの「生命」をかみしめ、亡者と共に生きていこうという教育が再出発しました。
しかしそれは、簡単なことではありませんでした。1年後の慰霊の日には「ぼくらには関係ない」という生徒も出てきました。
今年は「1 17 5 46」と黒板に書いて授業を始めたのですが、最後まで何のことか分からない生徒もいました。
それは転入生で無理からぬことかもしれませんが、意識しなければ伝えられないと感じます。
阪神・淡路大震災でも、わたしたちは一時期、地域が再建できるのだろうかという思いになりました。
その思いは、町ごと津波にのみこまれた地域において、放射能によって立入制限を受け、被災地に入ることができないという状況の地域では、特に強いものがあると思います。
阪神・淡路大震災で、大阪へ避難した中学生が家出をして大騒ぎになったことがあります。
捜索願も出されましたが、その生徒は、深夜、父親の車を運転して被災した我が家を見に行っていたそうでした。
その後、二度とこのようなことはしませんでしたが、自身の目で現実を見るということを抜きにして、困難は受け入れることができないということを物語っています。
また、大阪のホテルに避難していた生徒が、学校が再開して登校してきたとき、「みんなが生活に困っているとき、わたし、大阪のホテルにいたんや。大阪のホテルにいたんや。」と共通の困難体験をしてこなかったことに罪悪感の感情をいだいたことも話題となりました。
大人も子どもも、困難を共にし、復旧に立ち上がっていく共通体験を通して、起こっていることの本質を理解し、子どもたちは子どもたちなりにできることに取り組み、希望や生きる自信を回復していくことができると考えました。
子どもたちの生活や心の病みに寄り添う支援者の課題
復興がすでに始まっている地域では一定期間の避難となり、見通しをもつことができるでしょうが、福島第一原発近隣の立入制限区域内など、そうした動きが今のところまったく考えられない地域では、見通しを持ちながら子どもも大人も共同する体験が望み難いと考えられます。
人々に対してのケアは、深い、特別の配慮が求められます。
関西地方に転居し、4月からまったく見知らぬ地域の学校で学習を始める子どもたちも相当数いるでしょうが、今まで暮らしていた地域との交流、たとえば教育委員会や学校がケアを担当する先生を配置して、転出した子どもたちと連絡をとり続けるなどの対応が必要です。
情緒的な障害をもった子どもたちや、不登校の児童・生徒、ひきこもりの若者への配慮も重要です。
避難所での集団生活では、安心できる空間の確保というのは、生命維持の最低限なものとならざるをえません。
自閉的傾向をかかえる人たちの行動に特別な目が向けられ、親たちも体育館の片隅に遠慮がちになっているという事態は、子どもたち、親たちに大きな圧力となり、症状を悪化させることにも繋がりかねません。
まだ、親たちの保護のもとにある子どもたちは一人ひとりに援助の手が差しのべられますが、ひきこもりの若者たちが、生きるために飛び出さざるを得なかったとしても、避難所の中で現在どのような状況に置かれているのか、そうした若者の実態を把握し援助できているのか非常に危惧されるところです。
阪神大震災のなかでは、不登校であった子どもたちが、学校が避難所となり生活の場であったときは学校へやってきて大人とともに活動し、事態が落ち着き学校で授業が再開されると、また不登校になってしまったということが多数報告されています。
学校が「共同の生活の場」と認識されるなら、困難を抱える子どもたちも主体的に学校に来ることができると理解してもいいのでしょう。
同様に、被災された地域でも、「共同の生活の場」が構築されているなら、ひきこもっていた若者たちもそのなかでできることを担いながら意味ある一日を送り、生きていることを切に願います。
特別の課題という点では、在日外国人の人々への配慮も必要です。阪神大震災のなかでもベトナム出身の人々の居住地域など、言葉や就労の問題、地域の再建の問題、情報や行政サービスが行き渡るかなど、被災地における格差が課題となりました。被災やこれからの放射能汚染などの地域的課題のなかで、こうした人々の福祉が取り残されてはならないと考えます。
支援者を支えることの重要性
わたしたちは、この大震災の渦中に置かれている子どもたちや援助を必要とする人々の問題に思いを寄せて考えてきました。
それは同時に、子どもたちを支援する援助者はどうあるべきかという課題でもあります。
すでに報道されているように、こうしたなかで宮城県教育委員会は、県議会で全会派一致して「一時凍結」を打ち出したにも拘わらず、教職員の人事異動を4月1日に発令しました。
被害を受けた学校の先生を機械的に配置転換し(亡くなった教員が異動名簿に載っていたという事実もありました)、それに対する反対の声に、とりあえず最長1学期間(当初は4月20日までだった)は「兼務発令」という形で、元の学校で子どもたちと共に活動することができるようになりました。
すでに述べたように、この困難状況のなかで自らも生活が崩壊した教師たちですが、できる限り信頼関係が築かれた援助者として子どもたちの身近にいてほしいと思います。
もう一つの課題は、援助者を確実に支援するシステムがあるのかという課題です。
困難な中で、教育活動を再開する教職員に対するケアの問題です。
学校が再開し、様々な困難を背負って登校する子どもたち、またその保護者たちと対話し、その事実を理解すれば、深刻な生活の状態、心の状態が浮き彫りになってくるでしょう。
その多様な、深い困難性を自身のものとして受け入れていこうとする教師には、はかりしれないストレスがかかってきます。
教員ではありませんが、関西からも多くの公務員が東北・関東地方の支援に派遣されています。
そして、被災地で多数の亡者にかかわる、今まで体験したことのない仕事をし、帰還後、その世界のあまりの相違にPTSDを発症する人も出てきています。
援助者を援助する多層的なシステムが早急に準備されるべきです。
原子力必要論、安全論のへの疑義と教育内容の再検討
最後に、わたしたちは原子力発電にかかわる学習について再考する必要を感じます。
「原子力発電は、温室効果ガスを排出することなく、効率よく安定した電力が得られますが、安全性の向上や放射性廃棄物の最終処分場をどうするかといった課題があります。」
(東京書籍『新しい社会地理』2006年)という教科書記述が一般的です。
かつては、堀江邦夫が『原発ジプシー』(現代書館、1979年)を著し原発作業員の危険な実態と安全性の欠如を訴え、スリーマイル島原発(1979年3月28日)やチェルノブイリ原発(1986年4月26日)の事故により原子力神話を見直そうという運動と学習がおこなわれました。
しかし、2009年1月、日本原子力学会原子力教育・研究特別専門委員会が「新学習指導要領に基づく小中学校教科書のエネルギー関連記述に関する提言」で述べるように、低炭素社会の実現→原子力発電への高い評価→エネルギー輸入国の日本では「原子力発電を我が国の基幹電源」と位置付け→子供達に「量と持続性の両面で最も効果的な方法は現状では原子力エネルギーの利用であることを教える」という論理を教育におしつけてきました。
同報告書では、新学習指導要領の改訂を評価し、それを具体的な教科書記述に的確に反映させようと、現行教科書の記述を総点検しています。
小学校社会科学習指導要領の第3・4学年の解説には「原子力発電の燃料であるウランなどを外国から輸入していること、火力発電所や原子力発電所においては環境に配慮していることや安全性の確保に努めていることについて取り上げる」
「廃棄物の処理については・・・・・・地域の人々はもとより広く他の市や県の協力を得ながら進められていることにも触れるようにする」、中学校学習指導要領理科の「エネルギー」の解説では、「原子力発電はウランなどの核燃料からエネルギーを取り出していること、核燃料は放射線を出していることや放射線は自然界にも存在すること、放射線は透過性をもち医療や製造業などで利用されていること等にも触れる。」などの記述を取り上げ、「世界的の原子力利用拡大の流れを教える」、「その傾向は、原子力ルネッサンスと呼ばれる」とまで言い、「中学校の社会科の教科書は、このような世界的な原子力エネルギー利用拡大の動きと、我が国が原子力利用技術について世界に貢献できることを新しい動きとして正しく伝えるべきであります」と結んで、教科書記述に影響を与えようとしてきました。
経済性・効率性を必要以上に強調した教科書が、小学校では今春から、中学校では2012年度から使用されます。
わたしたちは、このような教育の動きを社会に伝える働きも求められているのではないでしょうか。
さらに、教科の学習において、教科書の記述を確かに読み取り、現実に起きている事実を直視させながら主体的な判断力を育てる学習を、今こそ進めなければならないと考えます。
そうした実践は、原子力問題だけでなく、子どもたちに意欲的で確かな認識を育てていくものとして、積極的な教育実践を創意・工夫し、互いに交流しあっていかなければと考えます。
武庫川臨床教育学会は、教育・心理・福祉などの多領域の援助専門職の方々によって組織されています。
そうした体験と知識、智恵を集め、被災地の再建に協同していくことを確認したいと思います。
2011年4月2日
討論参加者
田中孝彦(会長:武庫川女子大学)
小林剛(副会長:武庫川女子大学名誉教授)
石井邦也(理事:YMCA学院高等学校)
小谷正登(理事:関西学院大学)
中村又一(理事:武庫川女子大学)
上田孝俊(事務局長:武庫川女子大学)
木田重果(事務局次長:公立中学校教員)
春木美治(事務局員:元公立中学校教員)